堕落したい

2014年01月09日
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B+雑記
僕は環境を考えた自然派でもなければ悟りを開いたような清貧を良しとする暮らしがしたいために今の生活をしているのではない。
ただストレスの少ない堕落しきった生活をしたいがために今の生きたかたをしている。

坂口安吾の日本文化私観に以下のような文章がある。
 芭蕉の庭を現実的には作り得ないという諦め、人工の限度に対する絶望から、家だの庭だの調度だのというものには全然顧慮しないという生活態度は、特に日本の実質的な精神生活者には愛用されたのである。


ここまでは清貧だが、これは下の文章へと続く
 大雅堂は画室を持たなかったし、良寛には寺すらも必要ではなかった。とはいえ、彼らは貧困に甘んじることをもって生活の本領としたのではない。むしろ、彼らは、その精神において、あまりにも欲が深すぎ、豪奢でありすぎ、貴族的でありすぎたのだ。
すなわち、画室や寺が彼らに無意味なのではなく、その絶対のものがあり得ないという立場から、中途半端を排撃し、無きに如かざるの清潔を選んだのだ。


ソローの森の生活の中にも似たような言葉が出てきたと覚えている。
僕の考えもこれの足元に居るようなもので、本当は好きな物を何でも買えて、身の回りのこと全てを誰かがやってくれるような何不自由しない暮らしがしたい。
億万長者の貴族的な生活がしたいのである。欲が深いのだ。
だがそれは不可能で、頑張ったところで中流家庭のそれなりな生活しか実現できない。そんな生活に人生の大半を捧げて誰かに使われるような生き方は自分には無理だ。

だから僕はいま国の制度を最大限利用し、ストレスを排し、みんなが作った世界にブラさがるような生活をしている。
この考えに賛同できない人は多いだろうと思う。
僕自身がもし頑張って中流な生活をしていたら、こんなこと言ってる奴はブン殴りたくなるだろうな。
日本人にとって社会制度や保証はみんなが受けるべきものというより、あとは死を待つしかないような弱者だけが受けるべきであるかのような考えが染み付いている気がするし。


あんまりこういう主張して家に火が放たれても困るので今日はここまでにします。



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番号なし
Posted by 番号なし
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